里帰り出産の記録です。
自分の記録にと、双子の出産を控える方の参考になればという思いで書いているので、手こずったことや知らなかったこと中心に書かれていると思います。
毎度長いですが、ご興味ある方読んでみてください^^
これまでの記事
里帰り出産をするまで(妊娠5〜6週:病院選び、検診の費用など) - 育児の雪かき
里帰り出産をするまで(妊娠7週:上司へ報告、里帰り先の病院など) - 育児の雪かき
里帰り出産(妊娠8週:Y病院で膜性確定、検診先の決定) - 育児の雪かき
里帰り出産(番外編:妊娠・出産は甲子園や青春という説) - 育児の雪かき
里帰り出産(妊娠16週:Y病院の双子両親クラスへ) - 育児の雪かき
- 37週で出産予定だったのに35週くらいまでプレイマットとベッドしか揃えてなかった
- 20週:部屋の掃除、プレイマットを敷く
- 30週:実家暮らし開始
- 34週:見兼ねた母がレイアウト 思い直してベビーベッドレンタル
- 36−38週:夫が怒涛に仕上げる
- 感想:なんとかなったけど準備できてるほうが安心
37週で出産予定だったのに35週くらいまでプレイマットとベッドしか揃えてなかった
一般的な出産準備をして、双子を迎える仕様にすべきなのに、出産準備がよくわからず何にもしていなかった。日中は眠いのでいくらでも眠れてしまい、気づくと世の中が停止している夕方。
産後の生活がイメージできず、必要なものがわからなかった。
必要と言われているものに個人差が大きく、自分たちには何が必要なのかわからなかった。
20週:部屋の掃除、プレイマットを敷く
このころはまだ自宅で暮らしていたので、実家に帰った週末に夫がすべてやってくれた。わたしは息が切れてしまうのでぐたっと横になってた。
30週:実家暮らし開始
産休には28週から入ってたけど自宅の方が持ち物が揃ってるので、夫にも会えるし自宅になるべく居たかった。そのため2週間くらいは自宅で過ごしていた。
30週、生活するための身の回りのものを持って実家へ。
このとき部屋にあったものは
・20週のとき敷いたプレイマット
・もってきたネムリラ1台
34週:見兼ねた母がレイアウト 思い直してベビーベッドレンタル
毎日寝てるだけのわたし、自分のものを沢山もってきたので赤ちゃんのものよりわたしの私物で狭くなってきている部屋。
母が見兼ねて整理をはじめた。
そこで母が、いままで必要以上に干渉しないようにしていることに気がついた。
それはいずれわたしたちが自宅に帰らねばならず、そうすると母のサポートを受けにくい距離や環境になるためだろうと思った。
ごめんね、お母さんありがとう!でも眠いです…母に甘えることにして、動線や配置の検討をしてもらい部屋がかなりそれっぽくなってきた。
36−38週:夫が怒涛に仕上げる
わたしが入院した日、部屋の状態は
シーツもなにもないベビーベッド
キッチンワゴンには
おしりふき、ベビーオイル、ガーゼ、清浄綿、もらった哺乳瓶、もらった新生児肌着
だけだった。本当に赤ちゃんを迎えるつもりある?!というくらいなにもない。
いちおうぽつぽつ揃えたけど当てずっぽうな感じがあって、本当に生活が見えてなかったんだなあと思う。
今のわたしがあの状態を見たらびっくりしたと思うし書いてるだけで恥ずかしいけど、本当にわからなかった。
なので入院後夫が部屋を整えたり足りない必須なものを買いそろえたりして退院までになんとか間に合うようにしてくれた。
感想:なんとかなったけど準備できてるほうが安心
見出しにするまでもなく準備できてるほうがいいに決まってる。
なんでもすぐ揃う時代だけど、ときには店頭で確認してから買いたい場合や、そちらのほうが早い場合がある。
産後すぐは困ったことはすぐ解消できないと大問題なことも多いと感じた。(哺乳瓶が消毒できない、暑さ寒さの調整、ほんのちょっとのことだけどこれじゃないとだめ!みたいな感じに襲われたり、とにかく小さな生命を維持するということにプレッシャーがすごいので安心も含めて)
今これが欲しい、に対して店にぱっと行ってこれるというのは結構大切だったように思う。
ところがわたしが退院したのは12月30日で、お店によっては年末営業体制だったり、店はやってても品がなく次に手に入るのは年明け2週間後…みたいな自体にもなったはずで、そのへんがギリギリなんとかなったのは運がよかったとしか言いようがない。
12月30日に搾乳機(電動)を求めて赤ちゃん用品店に何軒も電話したの懐かしい。
産後あんなに余裕なくキリキリだったのに、年末で通常の感じじゃないということが重圧だった。(それも自分がちゃんと準備できなかったからです。)
必要になったら買うという姿勢でいいかなという思いもあったけど、準備しなさすぎ&時期がスリリングでした。
参加しています。よろしくおねがいします。