育児の雪かき

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男の子双子2歳の育児真っ只中です。思ったことをそのまま書いています。

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里帰り出産(妊娠22週:停電1日目)

里帰り出産の記録です。

自分の記録にと、双子の出産を控える方の参考になればという思いで書いているので、手こずったことや知らなかったこと中心に書かれていると思います。

毎度長いですが、ご興味ある方読んでみてください^^

これまでの記事

里帰り出産をするまで(妊娠5〜6週:病院選び、検診の費用など) - 育児の雪かき

里帰り出産をするまで(妊娠7週:上司へ報告、里帰り先の病院など) - 育児の雪かき

里帰り出産(妊娠8週:Y病院で膜性確定、検診先の決定) - 育児の雪かき

里帰り出産(番外編:妊娠・出産は甲子園や青春という説) - 育児の雪かき

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停電前日

今晩台風が来るらしいと聞きながらもいつもの土曜を過ごした。

いつもどおり週末の買い物をした。

1週間の食材と、帰りに買ったミスタードーナツ

(食材は直後停電によりすぐだめになる運命)

停電1日目(どうしていいかわからず仕事行く)

夜中はすごい風の音だった。

そして寝ていながら(妊婦のため眠りが浅かったのもある)聞き慣れない電子音が時折あって、おそらくたびたび軽い停電があり、家電がリセットされる音だったんだと思う。

起きたら台風は去って天気はよく、家の中は明るかったけどしんとしていた。

停電してる。静かなのは家電が止まってるからだった。

家のなかを確認 冷蔵庫が一番心配

冷蔵庫、ついてないけど庫内はまだ冷たい。保冷剤がまだ凍っていたので冷凍庫から冷蔵庫へ移し、温度が上がらないようにした。製氷室の氷はビニールにいれてきつくしばって、冷蔵庫冷凍庫各所に配置した。

水道からは水がでた。入居時新築だった(住んで3年)こともあるけど、小さなアパートだから水が汲み上げられたのかもしれない。背の高いマンションなどでは汲み上げにたくさん電気を使うから、お水が出なくて大変だったと後から聞いた。

朝ごはん 傷みやすいものから

前日の晩ビーフシチューを煮込んでいて(まだ暑い時期だったのにどうしても食べたかった)その残りをパンと食べた。牛乳とかヨーグルトも食べきった気がする。

朝炊けるようにしていたご飯は米のまま炊飯器に残っていた。明け方くらいから停電してそれっきりだったのかもしれない。

米が水に浸かっているだけの状態なので、そのままボウルに移し替えてひんやりしている野菜室へ避難させた。その晩土鍋で炊いて食べた。

職場から指示はない

安否確認とか、無理するなとかそういう連絡はなかった。あってもいいんじゃないの?と思いながら「道路の状況により遅れます」と連絡し、ゆっくり向かうことにした。

ガソリンスタンドは混んでいたけど、入れておいたほうがいいような気がして満タンにする。(これがあとで良かったことがわかる。夕方には近隣のスタンドはほとんど閉鎖されてしまっていた)

動いていない信号や、吹き飛んだ屋根や看板、倒木がある中慎重に運転する。

みんなそうだったみたいで、大きな交差点で信号が動かなくなっていたけどうまいことゆずりあっていた。

出勤しながらやっぱり休めばよかったと後悔する。妊婦なんだし、休む理由はいくらでもあるし誰も責めないのに、なんだか出てきてしまった。

夕方まで働く 氷をさがしさまよう

仕事中何度も東電のサイトで自宅の地域の停電情報を確認するも復旧していなそうだった。

帰りがてら氷を探す。けどどこも品切れ、昼間のうちにみんな買って行ってしまったんだとわかる。

スーパーやドラッグストアは氷だけでなく保冷剤や、食品(パンとかすぐ食べられるもの)もなんとなく品薄な感じ。だんだん心細くなる。

夜 真っ暗闇でシャワー(水)を浴びる サイレンと暑さで眠れない

帰宅したけど家はとても暑くなっていて、真っ暗だった。

いちにち働いて汗まみれだし、そうでなくても1日のおわり、お風呂に入りたかった。

幸い水は出たのでシャワーを浴びることにする。冷たいけど浴びないままは我慢できなかった。

お腹にそっと水をかけたらお腹がキューっとなって、双子に申し訳なく思ったのが忘れられない。

街はいつもの穏やかさを失って、ひっきりなしに救急車のサイレンが聞こえた。隣の通りから、家の前の通りから一晩中ずうっと聞こえていて物々しかった。

暑くて眠れず、ただ事じゃない感じが怖くて眠れず、うとうとを繰り返してたら明るくなっていた。そのころには疲れ切って暑くって、ぐったりだった。

助けてくれようとした人がいたのに頼れなかった

職場の先輩が何人か「やっぱり大丈夫?うちはクーラーがついてるから今晩泊まりにくれば?」と言ってくれた。

ひとりは心配して電話までくれ、「この暑さは今のあなたに危ないから来たほうがいい」と強く勧めてくれた。けどあと一歩どうしても頼ることができなくて「うちで様子見ます!大丈夫です」とお断りしてしまった。

今ならきっと行っていたと思うけど、当時のわたしはこういうところがなんか足りないところだなあと後悔してる。

公民館が開放されていることも知ってたけど、行けなかった。

いまは子の集まりとかでたくさん行くのでなんにも抵抗がないけど、公民館という場所の使い方がピンときてなくて、自分では気がついてなかったけどわたしたち夫婦は社会から切り離された暮らしをしていたんだなあと思う。

社会が切り離したとかではなくて、踏み込み方がわからなかったということ。 2人だけだから、支えがなくてもそれなりに生きていけたし、困らなかったんだと思う。

職場やお隣さんくらいには付き合いがあったから、そういう意味では馴染んでるように思っていたけど、助けてって飛び込めるような関係までは構築できていなかった。

 

長く感じた避難生活。続きます

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