育児の雪かき

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男の子双子2歳の育児真っ只中です。思ったことをそのまま書いています。

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修正テープとくっつかないしゃもじは私にとってビデオ戦争なのかも

暮らしに必要なものは色々あって、人によっている要らないが少しずつ違うけど絶対に欠かせないものっていうのが誰にでもあると思う。

例えばピーラーなら、一人暮らしなどで調理器具を揃えるときなどに、ピーラーが絶対必要って思う人と、ピーラーなくてもべつに平気って人がいるみたいに人によってちょっとずつ違う。

私が暮らしに必要と思っている道具のなかで一目置いているのは、修正テープとくっつかないしゃもじ(ここでは表面がエンボス加工されたもののことをいいます)で、どこの家庭にも大体あって、文字を消すなら修正テープ、ご飯よそうならくっつかないしゃもじではないかと思っている。家になくても、職場や出先で使っていたりするんじゃないかと思う。

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修正テープとくっつかないしゃもじは発明品

どうして一目置いているかというと、どちらも修正液、つるっとしたしゃもじという従来品のデメリット(乾くまで時間がかかる、手が汚れる/ごはんがくっつく)をカバーして新たなスタンダードになったというところにすごさを感じているから。

これからしゃもじを買うぞって人で、絶対に宮島がいいとかこだわりがない限り、百円ショップなどでつるっとしたしゃもじとくっつかないしゃもじがあったらくっつかないしゃもじ選ぶんじゃないかと思う。

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わが家のしゃもじ。買った炊飯器についてたの


炊飯器に無条件でついてくるしゃもじがくっつかないしゃもじだということは、しゃもじに米粒がくっつかない加工が施されているデザインがもうしゃもじの普通になってきているんだとおもった。


修正テープにはじめて出会ったのは20年くらい前だった。くっつかないしゃもじを見かけるようになったのは15年前くらいな気がする。出会って以来、「文字を消す」「ご飯をよそう」道具としての機能を上回るものに出会ってない。それぞれ、そのジャンルの道具として完璧だなと思う。

私はもう修正テープやくっつかないしゃもじがない頃には戻れないと思っていて、これ以上の進化は起こらないのではと感じるほど2つはよくできているなあと思う。そう思っては、すごい発明品を使ってるんだなと感動することがある。

でもこの世で変わらないなんてありえないはずだから、修正テープやくっつかないしゃもじが今後どうやって進化すれば今の機能を超える品になるのかここ7,8年くらい考えてる。 (必要なくなる可能性もあるけど、それはつまらないのであんまり考えたことはない)

くっつかないしゃもじが進化するには

しゃもじに関しては、自立するタイプを最近みかける。(ここ5,6年でよく見かけるようになった気がする)でもこれは米粒がくっつかないほどにはしゃもじにとって大事なことではない。「あったら使っとくか」くらいで、使わないときのしゃもじは水につけておきたいとか、炊いたご飯は食べきっちゃうからしゃもじが待機する必要がないとかいう理由で、「しゃもじ自立してなくてよし」となる。これだけでは、いまのくっつかないしゃもじの地位を揺るがすことはできなくてオプション的な感じ。

色のバリエーションも増えたとおもう。くっつかないしゃもじデザインで、色は黒とか、ちょっとおしゃれな食堂みたいなところで使われていそう。この点から考えると、くっつかないしゃもじはもうちょっとおしゃれな要素が足りないかもしれない。

おしゃれさを追求すると、人や食事の環境によって細かく別れるのでけっこう難しいと思った。ランチタイム1時間で1000人にカレーを出すような食堂だったらただのくっつかないしゃもじでいいし、お米の銘柄にこだわってて、注文したら土鍋で炊きたてとかかわいいおひつでごはんがでてきてほかほかを自分でよそうような店だったら木のしゃもじ風とか、黒っぽいしゃもじのほうがいいだろうし。

修正テープが乗り越えるべき点

完璧だと思っていた修正テープにも進化していくべき点があった。「くっつかないしゃもじと修正テープ空前絶後だと思う」と以前夫に話したら、「でも修正テープは点を消すのには向いてないよね」と言われた。確かに、修正テープはテープがでてくるので、どんなに面積を小さくしても最小の形は長方形 になってしまう。

文字を書いていて「ぷ」から「ふ」に修正したいとき「°」を消すのに修正液ならちょんとつけるだけでよいが、修正テープは「°」以上の面積を消してしまうので他の文字や絵なんかに干渉するではないかということ。

これは書いている人の美的感覚にもよるので、「これでいいや」と思うならば問題なし。でも漫画とか絵を描く場合はきちんと消したい分だけ消えるほうがいい場合もあるだろうから、修正液がこの世から完全になくなることはないんだろうなと気がつくことができた。

登場から浸透までが圧倒的だった

べつに修正テープとくっつかないしゃもじに限らず、いろんなものは変わり続けているからそんなに感動しないのでは、と思う人もいるかもしれない。コンパクトCDとか、MDとか、そういう「何かに変わって消えていったもの」はたくさんあるけど、私にとって修正テープとくっつかないしゃもじの登場はすごい華々しかった。従来品の機能を損なわずに、デメリット(修正液が乾くまで時間がかかる、手が汚れる/ごはんがくっつく)をカバーしているところが感動的で、使うたびにテンションが上がった。さすがに今はもう普通の気持ちで使ってるけど、機嫌が良ければ修正テープを使い「なんて発明だろうな」と思ったりする。

身の回りの修正液やしゃもじがあっという間に修正テープやくっつかないしゃもじに切り替わっていくのをみて「おおおおー」と思っていた。この感じってなんのなかなと思っていたけど、親世代とか、人生の先輩方がビデオ戦争の話(VHSとベータマックスのやつ)を熱く語ってくれるあの時の様子に似てると思った。ビデオ戦争の頃は子どもだったので、レンタルビデオ屋さんに連れて行ってもらって、トムとジェリーの同じタイトルが2本並んでたのを覚えてて、あれがVHSとベータマックスだっんだと思う。そのくらいの記憶しかないんだけど、ビデオ戦争の話を聞くのは結構好きで聞いてる。内容はほとんど入ってこなくて、いつもあんまり世間話をしない人とかがビデオって昔はねって話すとき楽しそうなのがいいなって思って聞いてるかもしれない。当時のことを教えてくれる人はきっと、圧倒的な変化みたいなのを感じて忘れられないのかなって思う。

 

お題「#おうち時間