子どもの頃からの友達が、国外に住むことになったので、出発前に一度会おうということになりました。
長年の友達は、会ってすぐ、昨日も会っていたように話せる友達。彼女もその1人です。
およそ2年ぶり再会した数時間、ついさっきのこと、1年前のこと、昨日のことなどぐちゃぐちゃに飛びながらいろんな話をして、会っていなかった期間の出来事とこれからの事を報告しあいました。
話しながら、2年歳をとった自分たちが、もう10代のころのようにお互いを傷つけないように気遣って話していることに気がついたり、互いに経験していない立場や環境を想像して、相手の状況を「ただ受け入れる」ということができるようになっているんだなと感じました。
そしてもう1つ気がついたのが、
ここ数年、コロナによる外出制限とか、子育てによる1人で身軽に出かけられない環境のせいか、人間関係の維持は、たがいの努力によるのかもしれないとぼんやり思っていたけれど、
それが彼女と会う約束をしてから当日会うまで、そして会ってみて実感に変わりました。
再会までの経緯はこんなかんじです。
2年前 冬 妊婦のわたしと彼女
わたしは結婚し、彼女は仕事で他県に住んでいたので、2人とも地元を離れてしまってからはあまり会えなくなっていたけれど、時折連絡をとったり、都合が会えば地元で会っていました。
しかし結構大変なので、頻度が減ってきていたころ、
出産で里帰りしたことをきっかけに、彼女を実家に招きました。
出産間近の大きなお腹をみてもらい、彼女がもうすぐ挙げる結婚式のことや、生まれてくる双子とわたしの生活について話したと思います。
わたしは、出産落ち着いたら子どもにも会いに来てね、結婚式は絶対に行けるようにするね、と言った気がします。
この先疫病が流行ったり戦争が起こったりなど想像しない、普通の交際というかんじ。
これからも互いのライフステージに合わせて付き合いの濃淡がありながらも、まあそれなりに会えるんだろう、
ということをなにも疑わなかった頃です。
しかし実際にはコロナが流行って、彼女の結婚式はなんとか挙げられたものの、
挙式の日程があとひと月、2週間遅かったら、結婚式は挙げられなかったのではないかと思います。
結婚、出産、遠くへ引っ越すなど、よほどのことがなければみんなが駆けつけるようなイベントも「自粛」となり、挙式が落ち着いたら彼女に双子を見にきてもらうというのも叶わない世の中になっていきました。
半年前、秋
わたしが仕事に復帰して半年すぎ、原因不明の腹痛に悩まされていたころです。
その夜も食後急に腹痛がきて、お腹をあっためながら丸まっていたところ
彼女から「来年イギリスへ行くことになった、会える?」と連絡がきました。
急なことで驚きと、その経緯や彼女の近況を知りたい、新しい生活を応援したいという気持ちがありながら、腹痛はよくならないままで頭が回らず、
自分の現状も伝えたいと思うのに、大した返事もできないままわたしが返事を返さなくなり
連絡が途絶えてしまいました。
先月 春
彼女がイギリスに行く正確な時期もわからないまま、そろそろ発つだろうか、元気にやってるだろうかなど、
時々思い出すも、わたしは連絡を取るエネルギーまでが出ずに、
思い出しては忘れて、はっとして、を繰り返していました。
彼女に聞きたいけど、聞くならちゃんとインプットしたい。連絡して、また中途半端になったらどうしよう、ちゃんと時間を確保したい(できるわけない)というのが大きな理由でした。
悩んでいたら彼女からまた連絡をくれました。
出発の日がわかり、直前は地元にいるから会えない?というメッセージでした。
わたしの返事は
是非会いたい(しかし子どもと一緒だからあまり落ち着いた時間が取れないかも、しかし子どもにも会わせたい。迷惑じゃなければ…!!)
とモゴモゴした感じ。
すると彼女は、
戦争があり飛行機がまともに飛ぶかもわからないけど、出発の準備を始めてること。
向こうの暮らしが落ち着いたら定期的に日本に帰ってくることができると思うけど、世の中の事情でそれが叶わなくなるかもしれないから、できれば出発前にわたしに会いたいこと。
こちらもバタバタするので、子どもがいるとかはあまり気にせず、会えるなら会っておきたい、と言ってくれました。
そして冒頭のように再会し、彼女とお別れ会をしたのでした。
友情の維持コスト
彼女が日本を離れると連絡してくれたこと
彼女はわたしが返事を途切れさせてしまったのに、再度連絡をくれたこと
わたしが双子を連れてでも彼女に会おうとしたこと、時間を作ったこと
彼女が出発前日にその時間を作ってくれたこと
書き出すとかなり彼女に助けられていますが笑
大人になると、久しぶりの相手には連絡を取りずらいと感じることも多々あると思います。
よく知った友人であっても、会っていない間、ずっと自分の知る友人であるかわからない。
人生にはいろんなことが起こるので、あの日の友人の笑顔や声が今日もみられるかわからないことを、大人になってみんな知っているからだと思います。
わたしは、どんなに仲がよかった人でも、兄弟や家族でも、久しぶりに連絡を取るのは少し緊張します。
昔なら許された言い回しや口調が、相手を傷つけてしまったら?忙しいのに、迷惑だと感じないだろうか、など、考え出すと心配なことが沢山出てきてしまいます。
(たとえば女性の友人同士だと、一方が妊娠を望んでいるも難しく、もう一方がすでに妊娠中や子どもを持っているような状況など、連絡を取ることがどちらかにとって苦痛になってしまうなど、わたしにも経験があり悩まれます。)
彼女にそのようなハードルがあるかはわからないけど、わたしには、その億劫さやこわさを乗り越えて連絡をくれたように感じました。
それを越えてでも、わたしと過ごしたい時間があるのだと、言ってくれたように感じます。
わたしもやはりそうで、双子の機嫌がわるいかもしれない、うるさくてまともに話せないかもしれない、道中トラブルがあるかもしれない
と思いながらも、でも行くんだと決めました。
お互い、やっぱやめとこう、次会えたらにしておこう、と思うポイントはいくつでもあったと思います。
それがわかったので、わたしには今回の再会にはとても意味があるように感じました。
そのありがたみを感じることができたのは、コロナな世の中のおかげかもしれません。
2019年までは、人間関係が広がっていくことをいいことだと信じ、フットワーク軽く、誰とでも仲良くしなければと気負っていたように思います。
出産とコロナのダブルパンチで身動きが取れなかったこの2年、わたし自身が本当に大事にしたいものだけにしか頑張ることができない日々だったことによって
先日のような再会がうれしく感じたのかもしれません。
本当はこうあるべきだったんだ、と思いました。
気がつかせてくれた彼女に、子どもに感謝です。(コロナに感謝と言えるほどわたしの心は穏やかじゃない笑)
友達のことを思い出すと浮かぶのが、竹内まりやさんのFoever friendsです
どんなに長く ごぶさたをしてても
電話ひとつかけるだけ 学生に戻れる
でも彼女と聞いたのはケツメイシかな😉