ママ友と呼べるような人と話してるときに、
わたしはこの人の話したい意を汲んで聴けてるかな、と
解散したあとや会ってないふとした時に考えることがあって
人の話を聴くというのはかなり技術がいるなあと感じている。
ある人が最近よく話してくれるのが0歳の息子の離乳食についてで、
その人が基本とする情報(このくらい食べましょう)と、息子の状況が全く異なる。
つまり、このくらい食べましょうを遥かに超えて食べて戸惑っている。
しかし体重は増えない…このまま食べるままにあげていいのか迷っている。
的な話が何度か会ううちの何回か、
相談を持ちかけられるような感じであって、
わたしの素直な感想としては
体重も多くないようだし、食べてるものはお菓子やジュースではなさそうだし、便も悪くなさそうだし、
食べるだけ食べさせたり、様子をみていいのでは、情報はあくまで目安であって
当てはまらないケースも沢山あるような…
といった感じだけど
きっとそれはこの人も何巡かしてる感想で
わたしに求めてるのはそういう意見じゃないんだろうな…
とうっすら自分の直感的に思うので
へえ、とか
はあ、みたいな
薄い反応になっているけど
話題に関わらず、大人2人が話すという状況に於いて
わたしはこの人に、わたしはあなたの話を興味深く聴いています
とい態度を示したいと漠然と感じていて
そうするとつい、共感を示すつもりが求められていない(とわたしは思っている)持論を述べちゃったりしそうなのがこわくって
さっきの、
へえ、とか
はあ、みたいな腑抜けた返事になっていて
興味ないって思われてたらどうしよう(そんなことないのに!)
と突然焦っては
「南のどこかの国では、外で子どもの離乳食をしてるから地面に食べ物が落ちようが関係ないし、最後は子どもの頭からザバーっと水をかけるだけで終わりなんだそうです。羨ましいです!」
と根拠も無いへんな話をぶち込んだりして
大人になってからの友だちというのは、若い頃からの友達と違って
何年ぶりでも昨日も会ってたみたいな感じにならず
あなたと交流できてうれしい、こんな時間を過ごせて感謝しています
みたいなことを示そうとしがち(わたしに限るのかな)
大人になってからの出会いも素晴らしいものばかりだ
と思う反面
昔みたいに気づいたら友だちになってたとか、同じ砂場で山作ったらもう友だちとか
そういうのがないので
時々戸惑うのでした
自分の気の利かなさにびっくりして反省