元気です。
春なので、職場の顔ぶれが変わりました。
今年は新卒の人もいて、新卒らしいというべきか、若々しさとやる気と一生懸命さをみつつ、その人がもつ聡明さを感じたりして、
最前線で活躍する「すごい人」にも最初ってあるのだろうなと、
偉大な瞬間を共有していると感じて、わたしも頑張ろうと思ったり。
先月定年退職し、今月から再雇用された方の振る舞いと、まわりの当惑をみては、
人っていつから気難しくなったり、”やっかいな人”になるんだろうと考えています。
その人は3月31日まではいち「部署の長」だったけれど、家に帰り一晩明けたら
別のところで「ただの人」になっており、もう長の仕事はせず、働くんだけれど
長だったころを知る元部下が周りにいるので、attitudeは長みたいな。
もちろんそうでない立派な人が沢山いるのは知っているけど、
いち部署の長然とした、威圧感や振る舞いが残る様子をみて、
この人だって何十幾年前はかわいい「娘(むすめ)」だったに違いないのに、
どのポイントから、このような恐ろしい人物になるのか。
当の本人だって、娘だったころ、将来そうなろうなんて考えていなかったに違いないのに、現在結果として、取扱注意な人間 とされているのって、人ごとではないのでは?
ちょうど対比にピカピカの人がいるというのも相待って、
再雇用の人をみれば「いつから?」と疑問がわき、新卒の人をみれば「この人もいつか?」と信じられないような感覚になるといった、
はっきりとした上司も部下もいない気楽な身分で、そんな意地悪なことを感じていました笑
(わたしは意地悪なんです)
春から長となった方(いちおうこの方がわたしの上司です)は、まさしく数年前まで再雇用の人の部下として働いていた方なので
とても気をつかいながら仕事をしていて、気づかいは、お互いが嬉しくなるならいいけれど、
片方がすり減るだけのものは良くないな、とも思いました。
わたしは正社員ではないので、いつかはここから別の場所を探して出ていかなければいけないと思っていますが、その結果、定年退職相当の年頃になっても、役職がなく誰かの下で働いている可能性も十分あると思っていて、
今回このような年齢や立場のあれこれを見かけて、自分は取扱注意にならないようにしたいといっそう思ったのでした。
それはとても難しい問題で、以前から漠然と「働く上でテーマになるかも」と思っていたことだけれど、それにはおそらくきちんと仕事ができるということが大切ですね。
きちんと仕事ができていれば、なにも問題ないんだろうと思うけれど、それが難しいので
果たして自分にできるだろうかとか、考えています。
わたしの大好きな先輩は、新卒の人と自分の娘が同じ年頃なせいか、
仕事以外でも優しく声をかけているようでした。
「つい余計なことを言っちゃうの」と言っていたけれど、
心細い始めのうちは、そういうのがありがたいし、こちらの言いたいことや気持ちを言葉にするのが上手な人なので大丈夫だと思うとわたしが言うと
そこから老婆心の話になり、
わたしは、老婆心 という言葉を聞くと、いつだって思い出す、東京電力のコールセンターの方を今日も思い浮かべました。
2014年はじめて一人暮らしを始めることになり、
東京電力に申し込みの電話をかけ、希望のプランを伝えたら
受けてくれた男性の方に「失礼ですがっ」と遮られ
「お一人住まいかと存じます。
そのプランをお一人で…というのは大きすぎるかと思います。
1つサイズダウンしたものでも、お一人であれば十分かと思いますので、
そちらにされるのはいかがでしょうか?老婆心ながら、申し上げます…!」
と言ってくれたことを思い出します。
電話口のわたしが頼りなく、初めての一人暮らし感が満載だったんでしょうね。
「決めるのはあなた、しかし大きすぎる!!!」という気持ちがビシっと伝わりました。
帰りの車で
わたしが初めて出会ったそのような老婆心を思い出し、
あれから何人もわたしのような世間知らずの若者のことを助けてるに違いない、
あのコールセンターの人元気かなあ。と懐かしい気持ちでいっぱいでした。
先日祖母に会ってきました。御年90歳です。
3月のお誕生日に合わせて妹が、お誕生日ネイルをしてくれたそうです。
デイサービスで見せびらかして、幸せそうです。
新婚旅行で行った、リルシュルラソルグ?のミモザです。ニースでミモザ祭りもみました。
みなさん春をどうぞあたたかくお過ごしください。