わたしはいつも「一人になって◯◯したい」というようなことを考えてます。
育児に手がかかる時間はもちろん、
仕事はやりがいがあるにもかかわらず「休んで別のことをしたい」と拘束時間を恨めしく思うことがあります。
出産を機に「自分だけの時間の手取りが減った/なくなった」と感じ
そこに かなりこだわっているのが原因と思うのですが、
どうしてこだわってしまうのかわかりません。
先日は
自由な時間がたっぷりあったのに、ゴロゴロで消費してしまい、
「自分は時間があろうとなかろうと何もしない」ということを確認したので、
時間がないことが原因ではなさそうです。
漫画をよむ
休みの日に子どもを預かってもらえたとき、銭湯に行きます。
そこに漫画がたくさんあって、なんとなく手に取ってみたのがきっかけで
やめられなくなりました。
去年は鬼滅の刃をちびちびと読み、
今年は呪術廻戦をちびちびと読んでいます。
現代の流れに添ったかのように優しい世界の鬼滅の刃に比べ、
呪術廻戦は笑いの感覚がやや攻撃的に感じて、
アニメ版なども、「うーん?」と思う箇所があったんですが、
コミックスに書かれている作者の”あえての表現”に対する思いや感じていることを知るにつれ、理解できるなあと思えるようになりました。
子どものころはただ夢中で読んでいただけだけど、
この年になると主人公よりも作者と年が近いこともあって
これだけのアウトプットができるということは、インプットは相当なんだろうな
という、産みの苦しみとか努力みたいなのにも思い馳せることがあって
すごいことだよな、と1巻読み終えては尊敬の念…そして次…と
読む、消費する、しかできないわたしってなんて何でもない人間なんだろ
と思ったりして、
また湯に浸かりに行く、みたいな休日を過ごさせてもらうことがあるわけです。
一度、次巻を!と本棚に行ったら少年にさっとかすめとられてしまい
どうしよう…帰るか、待つか?と迷っていたところに
気になっていた別の作品があって読めて満足です。
漫画は没頭にうってつけですね。
片付ける
どこか1箇所でもスッキリするといいと思って、
夫と子どもを送りだして、自分のことが済んでいる朝には
「1箇所断捨離風」をします。時間的に完全に断捨離までいかないけれど
要不要を分けるだけでもかなり頭がすっきりします。
からだを動かす
ボルダリング、細々と続いています。
すぐ腕がプルプルしてしまいますが、どうやって登ろう、このプルプルの腕で笑
と考えたり、とにかく消耗してぼーっと壁を眺めたり
上手い人をひたすら目で追う(学びはない。筋力が違います)などの時間は
かけがえのないリフレッシュになると思います。
いつか子どもとも行きたい。貸シューズのサイズを聞いたら16cm〜とのこと
ふたりとも現在14.5〜15cmなので、もうちょっとかな。
話す
友だちと話す機会が、コロナ&育児でやっぱり欠如しています。
職場でひさしぶりに会った他部署のひとと、最初仕事の話をしてたのに
気づいたらおすすめのyoutubeチャンネルとか、将来やりたいことなどを
互いに語っていて、言葉通り盛り上がりました。
「なんか職場で久々にこんな喋ってたのしい」
「わたしも」
喋りすぎて は〜 となって、わたしとこの人は仕事仲間でなく
友人なんだなあと思いながら部署に戻りました。
職場では同じライフステージ性別の人が多く、普段から仲はかなり良好でも遠慮する話題があり、
家庭ではママ友だと女・母・妻という共通点からやっぱり遠慮する話題があるけど
その人とはそういう接点がなく、だからこそ遠慮なくいろいろな本音を言うことができたし
相手もそれを否定せず聴いてくれたというところが、
今回の出来事の大きな違いではないかと思われました。
聴いてくれるのっていいですよね。わたしも聴ける人でいたいと思いました。
書き出すと意外と自分が捌け口をもとめて
いろいろ試行錯誤していることがわかって
もちろんこのブログもリフレッシュになるわけです。
最後までお読みいただきありがとうございます^^
参加しています。よろしくおねがいします。