育児の雪かき

育児の雪かき

男の子双子2歳の育児真っ只中です。思ったことをそのまま書いています。

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不安と緊張のゆくえ

静かになった脳みそ

抗うつ剤を飲みはじめて数日、脳内がとても静かになったと感じて

特に「こうなったらどうしよう」等の不安や緊張によるざわざわやピリピリが抑えられて、

目の前のことがきちんと見えるようになったので「これはすごい効果だ」と感動していた。

例えば薬を飲む前、わたしは子どもを1階に残したまま2階の寝室を片付けに行くのがすごく嫌だった。

「どうせすぐママ、ママと大騒ぎされるからまともに作業できない」「邪魔が入るに決まってる」みたいな先回りの不安や緊張があって、自分の理想通りにならない可能性を大きく目算して、1階からじっと動けない。

ああ布団を乾燥機にかけたい、窓を開けて換気をしたい、掃除機かけたい、と思うのに、でも…とぐるぐるしてしまい

何もできず時間が経つ勿体なさに悔しさを感じたり、「今日もできなかったわたし」と自分の評価を下げて傷ついたりしていた。ひどい。

 

しかし薬を飲んだあとは自分のやりたいことやすべきことがあっても

「今日やらなくてもいいや」

「やってみて途中でだめだったらやめちゃえばいいや」と何故か思えた。

薬を飲んでいるという1点しか”わたし”に違いはないけど、なぜか発想を転換して

楽してもいい、楽がいい、自分が大切だから

と考えられるようになって、

それが何故かわからず(まあ薬を飲んだからなんだけど)

不思議だったけどとても助けられた。

この”考えられるようになった”というのが、わたしにとってはものすごい発見だった。

今まで自分がしてこなかったような発想(この場合楽してもいい、楽がいい等)

で行動しても、なんとかなるし特に問題ないということがわかったから、

というあたりが大発見だった。

こう見えてわたしもいちおう、「よく考えて生きよう」みたいに思って生きている。

いつも自分が決めたり選んだりするときには

こうすると良いから(良いはずだから)→ こうする

みたいな理屈で選んでいる(はず…)。

つまり選ばなかった方には、何らかのデメリットとか、選んだ方よりはよくない何かが含まれているはずだと、わたしは思っていたんだけど

選ばなかった方(自分にとってよくない何かと思われるものが含まれている選択肢)でも、人生なんとかなるのかもしれない!!

ということが薬を飲んで数日間でわかったことだった。衝撃的だった。

仕事終わりに育児家事めちゃくちゃ頑張らないといけない

→できなかった家事は残しておけば夫がやってくれた

子どものご飯がんばって作らないといけない

→チンした肉まんとかパンすごいよく食べた

仕事休まず行かないといけない

→みんな双子だからって言って協力してくれたから休んでも平気だった

など

これまでわたしが頑張っていたことをやめても、周りの人はそんなに困ってなさそうだった。

なあーんだこれでいいんだと思えて、久しぶりに気持ちが本当に楽になったと感じた。

不安と緊張をうまく手放せないから辛かったんだということがわかった。

これでうまくいけば

この状態が続けばよかったけど、最近は前の状態に戻りつつあると感じて焦ってる。

育児の負担が増しているのか、薬が足りていないのか、素人なのでわからない。

医師はわたしのテストの結果(ストレスチェックみたいなのを薬を飲み始めてしばらくして受けた)をみて、薬の量は合っていそうだと言っていた。

しかしピーク時ほどではないものの、つらいな…と思う場面の頻度が上がってる気がする。

専門家から「これでいいのだ」と言われると、そうかあ、少し楽になって理想が高くなっちゃったのかなと思う面もあるし

いや自分の直感を信じて辛さを訴えてみたほうがよいのでは?と迷う瞬間もある。

もうすこし様子をみる。

今は、仕事が終わった時にああ今日も1日がんばったなとか思える。ちょっと前までは、こんな日々いつまで続ければいいの…と思ってた。

今は、人が怒っている場面に遭遇してもドキドキしない。前は涙があふれそうだった。

悲しいニュースを見ても落ち込んだりしなくなった。

今は、「あ、今脳が静かになってるな」とわかるような気もする笑

今は、毎度ではないけど、「わたしの脳がいま静かになったな、不安と緊張がおさえられてるんだな」と感じることができる。

それでも子どもの後追いに我慢できずに叫んじゃったり、怒ったりしている。

でも泣いてない。前なら号泣必発だったような事が起こっても、以前のように泣くまでには至らない。

時間がゆっくり進むようになった。1人の時間が持てたとき「あと◯時間しかない」と焦るのではなく、「…寝ちゃおうかな」とのんびり過ごすことができる。

世の中の「子どもがかわいい、尊い、出会えてよかった」という母親は、こんな気持ちで我が子を見ていたのかというのがやっとわかった。

 

わたしが薬を飲んでいるということ以外、わたしからみた世の中で、

わたしのつらさが解消されるという点で大きく変化したことはほとんどない。

(子どもの成長は大きな変化だけど、それとともに大変さも増しているから「状況がよくなる」という変化にはつながっていない。)

つまり不安と緊張はまだある。薬がうまく隠してくれているだけで、

わたしはそれを手放せておらず、薬がうまく隠せなかったとき、不安と緊張が爆発する。

爆発したとき、わたしは「すべきこと」にとりつかれて、

時間はゆっくりまたはどんどん進んでいって、取り乱すことになるんだろうなあと思う。

思うだけで、どうすればいいのかわからない。

こうやって考えて文章をつらつら書いたことにより、不安と緊張が爆発したときどうすればいいのかわからないという不安も増えてしまう。