新しいことで現状を打破しようとしがちなので
その第一歩としてできることを今日してきて、
現地に足を運び話を聞くというやつをやってきたけど
おんなじ仕事とか使命でも規模の大小というのでやり方が随分かわるんだと
実際に状況を目でみてやっぱりそうだよなって思ったのと、
規模が大きくなって求められるレベルも高くなること必至だろうなとか
思い切って飛び込んで獲得した機会なのに尻込みしてしまったり
現状の居心地とかに急に愛着が湧いたりとかしてぶれぶれな
しかしいつもと違う、本来だったら平行していてみることのできない現場を
垣間見ることができ収穫で、後半などはもうどうにでもなればいいや
みたいな気持ちで興味のままに聞いてみるなど楽しく会話して終わってしまった。
いい大人どうしであっても、初対面というのは
場がほぐれるだか馴染むだかしらないけど、みんながある程度の距離感で思い思いに話せるようになるまで
しばし時間を要することがあり、気詰まりであり、
しかもたいていの人は
その気詰まりを念に数回、数年に一度くらいしか味わうことがなくって
(自分にフィットした居心地を追求すればするほど機会は減るのかもしれないし、そうでないのかもしれない)
慣れてないものだから、ついその気詰まりが長引いてしまい時間をくってしまい
実りある会話部分が短縮しもったいないことになる
のをつねにわたしは恐れている傾向があって
その傾向はよくも悪くもあるけど、今日の場合はまあまあうまくいったのかもしれない
感じよく笑ったり、内心吐露してみたりすることで、早めに聞きたいことや話したいことまでいい感じで辿り着いたんじゃないかって
そこの部分の手応えだけめちゃくちゃある。
たいていそういうのは、もっと賢いひとが収穫だけさらっていき、わたしは都合のいい司会みたいな人だったねとなることも多い。手応えある。
あたらしいことは疲れる
でもスーツとか着たので楽しかった。
春先に母が突然くれたやつ(うら若いころ着てたやつ)が、時代を超えてなんか悪くないねって感じで着て行った
こういう母からもらった、受け継いだようなものを使うとき
魔女の宅急便のキキのママが、キキに箒を押し付けるの思い出す
「飛び慣れてて嵐にもおどろかないから」とかいってキキの作った箒じゃなくてママのを持たせる。
キキとママのように、わたしも母から受け継いだものの話がこのスーツ以外にいくらかある
例えば、ぼろの中古車で高速に乗ろうとしたら車を貸してくれたときとか。
わたしは長女だったから、わたしの初イベントなどは母にとっても初めてだったりして、一緒にそわそわしたんだろうと思う。わたしを思い遣ってくれる母。
でも今日のスーツを着てる姿をみたらきっと母は
「わたしが太ってたときのだから、お前でも合ってるね」
みたいなこと言いそうだなと思って、そういうのって反射的に出ちゃうやつで、
わたしたち愛憎まみれだなと思う
「黙ってると怖い顔だから、もうちょっとにこにこしたら」もそう
だから培われた、わたしの間に合せの感じのよさといったら、それはもう
一緒にいないけど新しいことを始めるからか母の言葉がいっぱいでてきてしまって
もう思い出したくないやって気持ち
ずいぶん遠くまで来てしまったなとも思う