今年の夏は出会いがあって楽しく、
あまりに楽しいのではしゃぎ過ぎた結果事故もあって、夜明けが怖い日もあったりしました。
なんとかなったけど、人生がいろいろな意味で終わってしまうんじゃないかって
比喩とかじゃなく本気で追い詰められていたりして、一体何をしたんだよって
わたしを覚えていて、久しぶりに見てくれる人は思うかもしれないですが
言えないくらいの恐ろしいことが、夏にありました。
でもすごい楽しかった。べつに何が終わったわけでもないけど楽しかったと言ってしまいます。夏は終わったし。
もし将来孫ができて、それが聡い女の子とかだったら打ち明けるかもしれない、それくらいここでは言えない。
本当に久しく(ほんの数年ぶりで、人によっては久しぶりと評価しないかもしれないことも承知で)、子育て抜きでわたしのみ存分に心や体が楽しい日々が続きました。
具体的には会話や、外出や、趣味の再開などで、自分にはこんな楽しみがあったんだとか、好きだったんだなと思い出すことで、言葉通り生き生き過ごしていました。
”わたし”として楽しいこと、楽しんでもいいことを再発見したのは素晴らしいことだったし、過去に遡って同じ分岐に立っても同じ夏を選ぶと思うけど、
楽しい景色から振り向くと、現在のわたしと切っても切り離すことができない、
子どもや子育ての業がひどく疎ましくていらなくて、
そんな自分に罪悪感すら抱かない状況に「なんかこれやばいんじゃないかな」
とうっすら感じる日々でもありました。
そのうっすらを払拭しておきたくて、
同じくらいのライフステージを生きる友人に現状を話す(人に話せることではあるので)と、
みんな女だったけれど、
「あなたの言ってること分かるけど、わたしは今は母でいいや」
という回答でした。
わたしの言ってることというのは、
子どもに縛られず自由に過ごすことや、
わたし個人で捉えてもらいたいということで、けれど彼女らは
「母でいいや、それ以外は余裕ないし」
「母でいいや、というか母だと思われたい」など。
それはそれでわたしの方もよく分かる。しかしどうしても今は自分に対してそうは思えない
というか非常に嫌だと感じてしまい困っていました。
30年以上生きて、たいていの経験からわかるように
この手の処理しきれない気持ち系は、時間の経過を待つしかないなと思ったので
とりあえず結論はださず(出したい方向性だと人生がこわれてしまいそうだし)
→(でも壊れるってなに?)→(なにをもって正しいと思ってるの?)
みたいなやばい回路を感じながら、放っておくを心がけたらすこし落ち着いてきました。
総括ですけど
去年は子ども産みたて、社会復帰したてで今よりずっと余裕がなく、とくにちょうど1年前などは
ここから居なくなる、死を考えてみる、みたいな淵での心の苦しさがありました。
(死などは文字にだすと本当に自分が寄っていってしまいそうで怖くて去年は書けなかった。)
その中での救いは眠れる、食べられる、暮らしが整う で
SNS上の暮らしが整う知恵などを実践して生活がうまくいくことが至高の喜びだったように思います。
すごく楽しくて、できるときに一生懸命やっていた。
それが徐々に大きくは子どもの成長によって暮らしが気づかないくらい少しずつだけど
楽になり、少しずつが1年くらい積み重なると結構な差になってきていて
わたしの欲求段階が「最低限の暮らしを維持する」「生きる」から何段階か上がって
面倒な「個」「わたし」「わたし」が出てきてしまっているんだと思います。
まだまだ暮らしに改善したいところは沢山あるんだけど、昔のように一生懸命やる気にならない。
ぼーっと座って思い出に浸ったり、人の気持ちに考えをめぐらせてあれこれ練ったり、
勘繰っておちこんだり、平安時代みたいだなあと思ったり、
漠然ときれいになろうとしたり、きれいな所にでかけようとしたり。
とにかく「わたしが!!!」どうにかなりたくて、
家出なんかもその余波だと思います。
比べるのも馬鹿馬鹿しいけど新生児の双子相手で眠れなかったわたしとは
もう違うのだと思うと当たり前の変化ではあります。
楽しかった反面、かなり厄介な季節でした。そのため秋は(今年は長かったですね)
正論と本音とを相手にしてじくじくした気持ちで過ごしました。
でも秋は秋でよかった。
もう冬になるしそろそろ穏やかに過ごせればいいと思うけど、
双子を産んで以降穏やかだった季節なんてあったでしょうか。
わたしはどこにいくのかなとおもいながら
新しいことを始めたり始めようと目論んだりもしています。
こういうときはがらっと環境を変えたくなって、そのインパクトで打破したくなりがち
衝動なのでうまくいかないことが多いとわかってるのに
なぜか新しいことは全てうまく解決できるのではないかと思わせる魅力がありますね。
おなじことをこつこつやるのがどんなに大変か、
同じことの繰り返しでもひとつひとつ違うことに気が付くことの大切さを知っていながら
それができないで飽きてしまうのも、自分のわるいところだと思います。
という季節のたよりでした。笑