まだまだcotenradioに夢中です。
唯識論や空の思想について触れていました。
難しくて結局よくわからないんですが、
「この世界は自分の認識で作られている」
「自分の認識にアプローチすることで世界を変えることができる」
ということらしく
それを突き詰めていく僧たちの様子や世界のイメージが
映画 マトリックス のようだと話されていて
わかりやすく面白い例えだなあと思いました。
それで先日、大昔ぶりにマトリックスを観てみることにしました。
この映画が、果たして仏教の、唯識や空の思想に影響されたものかは知らないけれど
「認識が世界を作っている」という前提から
「今生きているのは仮想現実(=自分の認識)であって、そのプログラムさえマスターすれば、この世界はいかようにもできる」
と解釈できて、
主人公や仲間がマトリックス内でとんでもない振る舞い(銃弾をよける、宙に浮く、銃弾のスピードを遅くする)ができることになる
という理屈で作られているものなんだとわかりました。
cotenradioを聴いて、やっと「何が描かれているのか」がわかって
へ〜
はーーーん
と言った感じです。笑
もし、わたしたちが生きる世界が仮想現実で、本体はどこかにあって
キーボードを叩く手の感触や梅雨の湿気、
日が沈み外が暗くなっていること、風が吹き木が揺れて葉っぱがシャラシャラ音を立てることなどは
すべてわたしが勝手に「そうだ」と認識しているだけ とするなら、
昨今わたしがずっと嘆いてる「育児のつらさ」「気持ちのつらさ」等も
ただの認識ということなのでしょうか。
本当は存在していないものを認識して
体や心に不調をきたしているということ?
であれば、この認識さえコントロールできれば…とも思います。
そういうことを昔の偉い賢いひとたちは、わたしが気づく前からずっと考えていて
それが唯識論とか空の思想なんだろうとも思います。
難しそうだけど、いつか勉強してみたいことの1つになりました。
この認識コントロールの難しさは、椎名林檎の「警告」という曲の一節も思い出します。
この海をまた訪れ 思い出そうと歩く
波を止めることよりは 容易いと感じるのに
思い出す=自分の意識をどうにかしようとすること
波を止める=自分の意識ではどうにもならないこと
でも、認識が世界なら、波も止められるということ、?
そんなことも含め当時彼女が歌っていたのかもと思うと
感動が増します。あの人はもはや怪物、なくはないとも思います。
作中、マトリックスとは何か?本当は我々はどこで生きているのか?
を仲間が主人公に説明しているシーンがあって
「AIとの戦いに敗れた人類はAIに栽培されエネルギーを搾取されている」
「マトリックスという仮想現実をみせられ、人類はそこに人類の人生があると思っているがそれは違う」
「本当の世界を取り戻すため戦う」
みたいなことを言っていました。
わたしはそれを観て、えーマトリックスに居ればいいじゃん
と思いました。
マトリックスに気が付くのはいいとして、マトリックスから抜け出そうとまではしなくていいのではないかなあと思ったからです。
プログラムコードをマスターして、宙に浮いたりビルからビルに飛び移ったりしたい派です。
あとプログラムを書き換えて育児の人手を増員したいな。
わたしを二人、とかそういうのもいいですね。
歴史も世界も、何も知らない自分に驚きつつ
ラジオを聴いて知っている単語が増えていくおかげで
ちょっと覗いてみようかな、と思う分野が増えたように思います。
最後までお読みいただきありがとうございます^^
参加しています。よろしくおねがいします。