わたしが双子の母であることがわかると「大変ね」とか「かわいさ2倍ね」みたいに言ってくれるのが大半だけど、
ほんの一部「実はわたしも双子なんです」と打ち明け話みたいにこっそり話してくれる人がいる。
双子ですと打ち明けてくれる人の話は共通して
1)わたしも双子なんです
2)母はとても大変だったと言っていました(+感謝しています、尊敬してますなど)
3)双子大変そう、わたしは育てられた方だからわからないけど ははは
だいたいこんな感じのことを話してくれる。
言われたわたしの感想はいつも
1)に対して「大人になると双子って言われなければわからないなあ。1人で生きていくんだよな。気をつけてはいるけど彼らもひとりとして見るようにしないとな」
2)に対し「大変でも、育てばこのような立派な大人になるのかあ(なるといいなあ)」
3)に対しては「気を使って言ってくれているな。お母さまや周りから「あなたたち大変だったのよ」とか言われまくったのかなあ(気を付けよ…言っちゃうほど大変なのかなあ)」
大人になって自分の家族構成まで話すという状況はめずらしくて、わざわざ自分から言うようなことではなくなってくる。
大人になって新しく人と出会った場合は、少し親しくなってどんな人かな、と更に興味がわいたりしたら聞くこともある。
けどそれも結構その人との人間関係に時間とかこころを割いてからだと思う。
そういうハードルをぜんぶなくして「実はわたしも双子なんです」って思わず言っちゃうくらいには双子は珍しいし、突然出会えると嬉しいのかなって思う。
わたしもとても嬉しいです。そうやって言ってくれると言うこと自体が「がんばってね」に聞こえることもある。
そして先にも書いたけど、その人が打ち明けない限りみんな普通の大人でした。どこかに双子らしいなにかがあるわけではないところに、いつもはっとする。
双子を妊娠したとき、「双子」に敏感に反応する人たちが一定数いて「これからどこにいても双子として認識されたり双子でセットにされたりするんだろうな」「ひとりひとりを大事にしてあげられたらいいな」とうっすら思っていた。
大人になった双子たちのほとんどは、離れて暮らしていたり、近くで暮らしていたりさまざまだけど、だいたいの場面においてその人ひとりで生きているように見えた。
もちろん人生の核みたいなところに「自分には双子の兄弟がいる」っていうのはあるだろうけど、生きてく上での細かい選択とか大きな決断はきっとその人ひとりでやったりしてるんだろうと思うと
ミュウやミュウツーもそうやって生きていくことができますように、そしてわたしはなるべくフラットにその手伝いができるようにしたいなあといつも思う。
双子らしくあるのがいけないとかではなくて、なんとなく気持ちのはなし。いつも大人の双子に会うと思うことでした。
この考えがわりと綺麗すぎる感じがするので記録しておく。将来疲れているかもしれない自分のために。
最後までお読みいただきありがとうございます^^
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